始まり
日本から海外移住・海外留学を検討している人の中で「私も海外に出てみたい。でもたくさんの困難が待ち受けているだろうし、不安だからと足踏みしている人」も大勢いるだろう。私もそのうちの1人だった。わたしは日本文化や日本食が大好きだし、日本には家族やたくさんの友達がいて、楽しく働いていた職場もあった。でもそんな快適な環境にいてなぜ海外に行ってみたかったのか。それは「人生一度きりだから。」これに尽きる。
私の過去
日本は素敵な国だけど、この小さい島国から飛び出して、海外に長く滞在したら何が見えてくるのだろうかという好奇心は小さい頃から抱いていた。大学生になるまで海外にいく機会はあまりなかったけど、小学生の頃から英会話に通わせてもらっていたし、お母さんの影響でフルハウスを観たり、赤毛のアンの本を読んだり、お父さんと毎週土曜日スターウォーズ観たりなど些細なことがきっかけで、日本文化よりも海外文化、邦画・邦楽よりもハリウッド映画・洋楽に興味を抱くようになった。日本と違う生活や世界にワクワクを感じた…
そんな思いを抱きながら、英語に特化した、海外からの交換留学生が多い大学に進み、大学2年生の時にはカリフォルニア サンタバーバラに1ヶ月の短期留学へ行かせてもらった。この大学4年間で得た経験がわたしを変えたような気がするし、海外にもっと行ってみたいという欲が増した。自分とは違う価値観やバックグラウンドを持った人たちと出会い、交流を深める中での新しい気づきが新鮮だった。日本を出れば、日本にはないいろんな考え方・選択肢がある…
そして大学を卒業し、海外に行ってみたいという思いを抱えながらも新卒として就職。海外が行きたすぎて海外専門の旅行会社を選ぶという単純さ…でもこの決断がのちに海外に行きたい欲をさらに後押ししてくれた。みんな海外旅行が好きということもあり、有給もかなり自由に取れた。年に1〜3回ほど海外旅行をし、配属されたアメリカに勉強という名のもと旅していた。忙しい時には友達とロサンゼルス&ラスベガスを楽しんで帰ってきた数日後に、現地視察に参加するためにオレゴン州に行くという過密スケジュール。日本から飛び出して新しい経験をするのが本当に楽しかった…
そんな日々を3年過ごし、ある程度お金が貯まり、周りの友人は結婚やキャリアアップしていく中で、わたしはどうしたい?と考えるようになる。そこでようやく長期カレッジ留学の決断をする。特にこれと言って学びたい科目がある訳ではなかったけど、まずは行動することで何かを得られるはずだと、勢いで決めた。でも海外への好奇心が昔からあったとはいえ、好きだった仕事から去ることは勇気ある決断だったし、一緒に過ごしてきた家族・友達と離れる決断も容易いことではなかった。私を知っている人がほとんどいない地へ行くのだから、少しばかりの勇気と固い決意が必要だった。
そしてついにバンクーバーに到着し、カナダでの生活が始まる。初めの数ヶ月は、日本を去った時に抱いた心細く不安な気持ちを忘れるほど、たくさんの友達に恵まれて楽しくも忙しい時間を過ごしていた。そしてそんな矢先…予想ができるはずもないあの出来事が起こる。そう…世界中でコロナ蔓延。蔓延直後、たくさんの人たちが母国へ帰国する決断をしていた。その中で留学生活・海外生活を送っているなんて、この先大丈夫なのだろうかと思い、不安を常に抱えて過ごすようになっていく。私が思い描いていた、いろんな人と出会って、新しい気づきやいろんなことを吸収したいというプランが見事に崩れていった。長年の夢が儚くも散っていく虚しいさま。悲しくて悲しくてたまらなかった。
ここだけ聞くと、なんだかネガティブに聞こえるかもしれない。日本に帰ってくれば良かったんじゃないと思うかもしれない。けれどもこんな状況下に置かれたとしても、私は残って挑戦する道を選んだ。この道を選ぶ前も後も、確かにたくさんの苦労をした。でももし誰かに海外に来て後悔しているかと聞かれたら、私は「後悔なんて絶対にない!」と自信満々に答えることができる。
そんな私が現在に至るまで、楽しいことだけでなく、大変な思いをたくさん経験をしてきたからこそ、その経験談が誰かの後押しになったり、人生って足を止めず進み続ければ何かに必ず繋がるというふうに思ってもらえたら良いなと思い、私のカナダで永住権を取得するまでの道のりを書いてみることにした。
私の現在
2024年3月、待ちに待ったカナダ永住権の承認がおりた。晴れて、観光や就労ビザなしでカナダに住む権利が得られたということだ。カナダに来て4.5年、永住権を目指し始めて1.5年が経っていた。
海外に住んでいれば、1度や2度ビザで苦しむことがあるだろう。自由を手に入れて、日本以外に拠点が作れたことをとても嬉しいと思うと同時に、全てを振り返るとよく乗り越えたなと自分でもびっくりする。でも乗り越えられたのは、節々に誰かに支えられてきたからとその縁が生んだ奇跡に助けられたからだということは間違いない。
カナダでの経歴 〜カナダライフ 第1章〜
赤裸々な過去
【カナダを選んだきっかけ】私の大学にバンクーバーからの交換留学生が来て、仲良くなったこともあり、2017年の夏にバンクーバーへ下見もしつつ、その友達のところへ遊びに行った。街と自然が融和していて住みやすそうというのが印象に残り、そして「学生しながらインターンシップができる(co-op留学)」「大好きなアメリカ西海岸に近い」「友達がいる」という理由で留学先としてカナダ バンクーバーを選んだ。
2019年09月 カナダ バンクーバーに到着
ホストファミリーのお家で過ごしながら、語学学校に通い始める
ホストファミリーと揉めている人は本当に多かった。まともな食事を出されなかったり、門限あったり、いちゃもんつけられたりなど…どの国でもあるあるだと思うんだけど…
アメリカでホームステイした時は、本当に楽しくて、ルームメイトやホストファミリーとは今でも繋がっているから、またそういう経験がしたいなと思ってホームステイを選んだ。私はほとんどトラブルがなく過ごせたし、家族行事に呼んでくれたり、趣味で話が盛り上がれるファミリーだったから今回も楽しめたかな。学校で仲良くしている友達たちも近くに住んでいたというのも運が良かったかも。
2019年11月 シェアハウスに住み始める
お友達のご両親が営んでいるシェアハウスに運よく転がり込めた(笑)その頃、周りのみんなが家探しに必死になっていたから、本当に縁に救われた。ここに住んだことにより、快適にオンラインクラスを受けられたし、コロナ禍も心身安心して過ごせた。
2019年12月 語学学校を卒業
私立カレッジの入学間近になって、コロナが蔓延
ここから私がイメージしていた海外生活・留学生活が大きく崩れ始める。予期せぬコロナ。ステイホーム宣言で家に居ざるおえなくなるし、母国へ帰国する知りあい・友人も多い中、ここにいた方が良いのだろうかと悩む。なにも見通しがつかないし、毎日悔しくてくそーーーっと涙を流しては、まだ頑張れるはず!と自分を鼓舞する日々。
2020年01月 通う学校を変更し、入学までほとんど家で過ごす
家で1人で過ごす時間が増えたこともあり、今までの自分について振り返ってみた。そこで気づいたのは「今まで何かを得られなくて諦めたことはない」ことだった。だからカナダに来たのに、何も得られずに日本に帰るわけにはいかない!というやる気が急に出てきた。
そこからコロナの期間は大した経験ができないのではないかと思い直し、コロナの状況が少しでも良くなっている時にまだここに居られるように、学校と長期のプログラムに変更した。思い返せば、この思い切った行動がのちに良かったんだと今になって思う。
でもこのステイホームしなきゃいけない時間は本当に辛かった。外へ自由に出られないという環境の中救ってくれたのは友達の存在。一緒に近所をお散歩したり、zoomで運動したりおしゃべりしたりという時間が貴重だった。ここで抑うつっぽくなっていたら、これから頑張ろうという気力がなくなり、日本に帰国していたかもしれない。
2020年06月 私立カレッジに入学 (co-op留学)
2020年08月 コロナ禍でアルバイトを見つけ、パートタイムで就労
コロナの状況が少しだけ緩和されて、仕事ができる状況になる。がしかしアルバイト探すのにも本当に苦労した。コロナで現地の人も職を失っていたから、もうあり得ないくらい争奪戦。しかも学生で授業が不規則だったから、シフトが自由に組めるところが良いとなると、候補が1つしか上がってこなかった… 貯金をこれ以上減らしたくないし絶望的。だから面接の時には(品よく)猛烈アピールして運よくゲット!あとでオーナーに聞いたら、そのポジションに100人くらい応募があったらしい。危なっっっっ!
なんで選んでくれたのか聞いたら、日本で責任ある仕事に就いていたからだって…過去の自分ありがとう。そして信頼して雇ってくれたオーナーありがとう。そのオーナーは終始本当に良い人だった。従業員へイベントごとにプレゼントやお年玉くれたし、カナダに家族がいない私にとってはとても嬉しかった(涙)
2021年01月 コロナ渦でインターンシップ探し始める
コロナ渦でインターンシップを探すことが一番大変だった。応募して、連絡がくる会社もあったけど面接の日程を決めたいと言われた時に、ビザの期限を聞かれて断られるケースが多かった。1年未満だったからね。皆口を揃えて言うことは「1年以上の期限は欲しい。ごめんなさいね」どうしようもないから、応募しまくったり、友達に履歴書のデータを送ったり、誰かヒットしてくれるところがないかなと他力本願…かなり途方に暮れてた。
そんな時に、アルバイト先にいた子が同じ学校・同じキャンパスに通っていることが分かり、仲良くしていくうちに、彼女のお母さんが起業したいというから、インターシップとして雇ってもらえばという話になり、面接し、雇ってもらえることになる。縁が生んだ奇跡。
2021年04月 インターシップとしてフルタイムで就労
スタートアップ企業で働いたこともなかったし、0から1を作る大変さを学んだ。本当にいろんな事をさせてもらえた。オーナーとは何回もぶつかったし、なんならぶつかりすぎて解雇警告レターを2通もらう始末(笑)言語の壁は感じられなかったけど、コミュニケーションの仕方が違いすぎて、私自身他のアプローチを身につけなきゃと必死になった数ヶ月間だった。でも今になっては良い思い出だな。
最後にはオーナーともかなり打ち解けていたが、就労ビザを見据えるのであれば、他の会社に行かなきゃと思い、ワーホリを申請して、他の職を探すことに決めた。
2021年07月 アルバイトを辞める
2021年08月 インターシップ終了&カレッジ修了
1年2ヶ月のプログラムが終了。当初のプランより長くなったけど、カナダでの可能性が広がった。プログラムが始まってから修了するまで、正直co-op留学に対して思うことがたくさんあったけれど、最終的にco-op留学を選択してよかったと思う。ワーキングホリデーのビザを使って、新たな可能性を探しに行けるのだから。
Co-op留学を検討している人がいて、予算に余裕がある人は公立カレッジも検討すると良いかも。やっぱり学ぶ質が違うと思う。もちろん何を目的として滞在するか、何を学ぶかにもよるけど!
ワーキングホリデーを申請
2021年09月 ワーキングホリデー取得
インターシップしていた先で働きながら、次の職を探してみた。(なぜか)急に思い立って、近所で有名なパン屋さんがベーカリーを募集していたから、応募してやってみる。手に職をつけたいなと思っていた流れで試したくなったのかもしれない。
初日からなぜかスムーズに仕事ができて、2日目からレシピ見ながら1人でデザートパンを8時間作り続けた。そこで感じたのは、私はやっぱり同じ作業の繰り返しは向いていないということ。みんな和気あいあいしていて素敵なところだったけど、3週間で辞めた。
2021年11月 職を見つけて、フルタイムで就労
やっぱり探している段階からLMIA就労ビザをスポンサーしてくれそうなところを探した。この段階では永住権を視野に入っていたかと言うと、本格的というよりかは、頭の片隅に入っていた程度だった。ただまだカナダ残っていたいから、そのチャンスをくれるところを探していたという感じ。
そして運が良いことにインターンシップと似たような職種を見つけ、仕事をゲット!
2022年06月 2.5年ぶりに日本へ一時帰国
長期で海外に滞在していると、日本の良さ・改善した方が良いところが見えてくる。
とにかく家族や友達に会えたことが嬉しかったし、日本食・温泉・カスタマーサービス・ショッピングが最高!!!と存分に楽しんだ1ヶ月間だった。
2022年09月 会社にスポンサーになってもらって、LMIA就労ビザを申請
面接段階では就労ビザをスポンサーしてくれる可能性があるかとは一切言わなかった。就労して3ヶ月間の試用期間が終わってから、就労ビザのスポンサーに関して話を上に通した。
わたしの経験上、専門職でない限り、面接時に就労ビザをスポンサーするという雇用主がいたら、そこはかなり危険で避けた方が良いところだと個人的に思う。
2023年01月 LMIA就労ビザ取得
2023年03月 永住権申請のための準備・手続きを始める
LMIA就労ビザを取得してから、将来のことをもっと考えるようになる。今後違う仕事に就くため、日本以外に拠点作るため、パートナーと一緒にいるためには、自分自身で永住権を取るしかないということになり、準備を進めることになる。
この申請準備をした頃くらいから、仕事も忙しくなり、プライベートも上手くいかないという期間もあり、気づいたら体調不良に悩まされていた。人生いろいろだと痛感した時期(笑)
2023年12月 1年半ぶりに日本へ一時帰国
体調不良がずっと治らず、このままバンクーバーにいても早く専門医に会えないし、家族や友達に会いたいと思い、永住権を申請したまま渡航する時の注意事項を複数人のプロからアドバイスを受け、日本帰国を決める。仕事を辞めるつもりが、上司と話して休職を選択。このドタバタな数週間の記憶がほとんどない…
そして1ヶ月でバンクーバーへ帰ろうと思ったら、体調をもっと整えた方が良いと助言を受け、計2ヶ月ほど日本に滞在した。バンクーバーで出会ったお友達に救われ、健康をある程度取り戻すことができた。縁が私を救ってくれた(泣)
こんなにゆっくりと2ヶ月間を過ごしたことがあるかというくらいのんびりした。忙しいのが好きな性分だけど、これくらい今は休息・休養が必要なのだと自分に言い聞かせ、家族や友達との時間を存分に楽しんだ。
2024年02月 バンクーバーへ帰国し、仕事を退職
バンクーバーに帰国する直前、2年間働き、最後に2ヶ月間休職をもらった職場に辞める旨を伝える。この会社でたくさんの人に出会えたし、ポジションを超えてたくさんのことを経験させてくれたけど、働き方が合わないのかなと思ったのと、体調を考慮しての決断。でも出会った人たちとの縁は大切にしたい。みなさま、本当にありがとうございました!
この退職をきっかけに自分はこれからどのような働き方が合うのか、どんな職を手にしたいのかなど考えるきっかけになったかな。
2024年03月 わたしの涙・汗・血の結晶、永住権を取得
就活しながら、FITT(国際貿易の資格)の勉強を始める
終わりに〜カナダライフ 第2章〜
永住権を取得したからといって、カナダにずっと永住するのかと聞かれるけど、そういう訳でもない。将来へのいろんな可能性を広げるためである。ただ可能性を広げるためにも今のライフスタイルは変えないといけないと思っている今日この頃。永住権を取ったからといって、やったー!と言ってはいられない。今日からカナダライフ第2章を始めるのだ。
振り返ると、この2年間は120%くらいで働いていたから、インプットする気力がなくなってしまっていたし、これから先のキャリアや人生を考えると「インプットとアウトプット」「仕事・プライベート」を上手く両立できるようなライフスタイルにしたい。ここ数ヶ月間は、現実と理想のギャップが大きくて、そんなことを考える気力も余裕もなくなり、わたし何がしたいんだっけ?私らしい人生とは何?と自分に問い続けることになった…周りにもわかるはずがない。なんだか抜け殻みたくになっていた。これが30歳の壁なのか、それとも燃え尽き症候群なのか。
このまま抜け殻になってしまうのかと思いながら過ごしていたけれど、最後に仕事をしてから約3ヶ月後。ぼーっとしたり、散歩したり、旅行したり、本を読んだり、食事を楽しんだり、いろんなYoutubeを観ていたりしていくうちに、ようやく、いま何かをやってみようという気になれた。
自分は楽しく頑張っていると思っていても、気づいたらつまづいてるし、でもそんな日々はいつの間にか懐かしくなってたりする。きっと人生そんなことの繰り返し。だから思い切って挑戦して諦めずに泥臭く這いつくばってみた人は、胸はって「自分の決断に後悔はない!」と言えるのだろう。そしてそういう人には応援してくれる家族や友達、仕事仲間などいろんな人がいるんだと思う。ありがとう!!!!
これからについて。具体的にこれに進む!!!!という仕事が浮かんでこないけど、私の夢はいかなる形であれ、日本と世界の架け橋になること。それは昔から変わらない。だから今回は違うアプローチとして国際貿易を勉強してみようと思う。勉強しても、それが直接的な仕事に結びつかないかもしれないし、興味が湧かなくなるかもしれない。違うやりたいことが見つかるかもしれない。それでも良い。でも人生の中のどこかでその得た知識や経験が糧になったり、夢に繋がっていくと信じて、とにかくやってみる。やってみたら、ふと過去を振り返ってみた時、自分が蒔いた点と点が結びつく時が来るはず。
そう信じて、カナダライフの第2章を始めようと思う♪私の記事が誰かの決断の良き後押しになりますように。
永住権を申請する流れもまとめてみたから、参考にどうぞ!↓
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